photo by 毎日新聞
前回(ドルアーガの塔とサンシャイン60)からの続き。
目次
池袋
巣鴨プリズン。
途中省略したけどWikipediaから。
巣鴨プリズンは、第二次世界大戦後に設置された戦争犯罪人の収容施設である。
第二次世界大戦中の1944年には、ゾルゲ事件の主犯とされるリヒャルト・ゾルゲおよび尾崎秀実の死刑が執行された。
第二次大戦後にはGHQによって接収されて、スガモプリズンと呼ばれ、戦犯容疑者が多数収容された。
1947年2月、既決囚の労働が本格化し、A級戦犯・60歳以上の高齢者・病人以外は全て就労を命じられた。
長い拘禁生活と裁判の疲労で体力の落ちた戦犯たちには重労働で「こんなことならいっそ死んでしまえばよかった」との声もあった。
1948年12月には、極東国際軍事裁判により死刑判決を受けた東條英機ら7名のA級戦犯の死刑も執行された。
1971年に東京拘置所が移転した後、跡地はサンシャインシティとして再開発された。
処刑場周辺は豊島区立東池袋中央公園となり、慰霊碑「平和の碑」が建立されている。
そして心霊スポットでもある。
沢山の英霊が眠る場所と言われる。
処刑された思想の中には時代の世を心から憂いた思想もあったに違いない。
近くにはサンシャインがある。
なぜか、そこからの自殺者は風に流されてここに落ちるという。
そういえば、2012年8月24日、埼玉県内の学校に通学する男子高校生がサンシャイン60の屋上から飛び降り自殺したこともありました。
こうやってみると、普段何気なく行ったり通ったりしているところが意外にも過去になんかあったりする場所だったことってありますよね。
高田馬場
もうずいぶん前の話のなのですが。。。
大学は高田馬場にあったのだけど(今のように西早稲田駅なんてなかった)、高田馬場駅から戸山公園の中を通って大学へ通う。
4年間ほぼこんな感じの通学路でした。
この戸山公園。
もう花見や酒飲みやらフットサルやらやったなぁと。
大学に行く途中で眠たくなってそのまま戸山公園で寝てしまう人(某バンドDr)もいました。。
そんな戸山公園。
卒業してから知ったけど、旧陸軍軍医学校だったんですね。
1989年7月、この軍医学校跡地において厚生省国立予防衛生研究所 (現国立感染症研究所) 建設工事の際、同地から約100体に上るモンゴロイド系人骨が発掘された。
人骨には、銃の傷跡のある遺体や切り傷のある遺体が複数あったため、「細菌戦のための731部隊による生体実験の犠牲者ではないか」などの疑惑が出た。(略)
2000年12月に住民敗訴の最高裁判決が確定し、これをうけ2001年6月、厚生労働省は「大量人骨は、戦場に遺棄された戦死体からの研究用標本」と結論付け、新たにつくる納骨堂に納める方針を固めた。
731部隊って何!?
って感じでしたが、これが結構えぐい。
731部隊は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。(略)
満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。
そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされている。
Wikipediaは例によって長い。。。
興味のある方は長々と読んでいただくと理解が深まると思います。
まぁそんなわけでこの戸山公園も心霊スポットになっている。
旧陸軍の医療施設があったこの場所、実は人骨が見つかるもっと前から、夜な夜な人魂が飛ぶ、とか、裸の幽霊が何十も行列を作って歩くのを見た、と言われていた場所なのである。(略)
また付近の西早稲田の地下鉄のあるエレベーターには押しても止まらない階があるだが、ある人物の証言によると、そこが押せた時があったそうだ。
間違ってその男性がそこを降りるとまっすぐな通路があり、さらにしばらく歩くとどこからともなく警官が二人近づいてきて、職質されてエレベータに戻されたそうだ。
証言によるとその通路は、ちょうどその戸山公園のあたりまで伸びていたそうなのである。
まぁ今でもなんかちょっと怪しい感じがするんですね。
戸山公園はパンドラの箱なのかな?
平将門の首塚
東京駅? 神田駅? 近くに行く用事があったら立ち寄るようにしている場所。
平将門の首塚とは、平将門の首を祀っている塚。(略)
伝承では、将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされている。
その中でも最も著名なのが、東京都千代田区大手町一丁目2番1号外にある首塚である。
かつては盛土と、内部に石室ないし石廓とみられるものがあったので、古墳であったと考えられている。(略)築土神社や神田明神同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきた。
この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来た。
そのことを最も象徴的に表すのが、関東大震災後の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとした時、不審な事故が相次いだため計画を取り止めたという事件である。
結果、首塚は戦後も残ることとなり、今日まで、その人気のない様に反し、毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示している。
ほんと。
東京の高層ビルの立ち並ぶなか、ポツンと残っている平将門の首塚。
なんか気になるんですよね。
近くに寄ったら立ち寄る場所。
皆さんも是非。
もはやドルアーガの塔とかどうでも良いですね。
オンラインの方の写真だけ掲載。
ドルアーガの塔をバックにパシャリ。