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東京・両国の街をチャリンコでぷらり

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神田川。

お茶の水駅あたりからも見える川。

浅草橋駅から南の方面にある。

屋形船がたくさん。

目次

神田川と隅田川

いつぞや、しらちんの店にチャリンコのカギを落としたらしく

(しらちんの店の向かいのライブハウスに落ちてた)、

そのカギを取りに行って、

浅草橋に置きっぱなしにしていたチャリンコを乗って両国をフラッと。

参考までにマップを。

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神田川から隅田川を撮った。

合流地点。

隅田川の向こう側は墨田区。

両国。

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昔の江戸はこの川を境に向こう側はなんというか穢多・非人の住む場所だっただとかそうでないだとか。

こちらの忌み地とは住んではいけない土地と言うけどもも参考に。

本当は川の向こうには人の住む場所ではなく、橋もなかったはず。

大火事にあって川を渡れず大勢の方がなくなったのをきっかけに両国橋が作られ、人が向こう側にいけるようになったとかそうでないとか。

そして貧しい方々が住み、鼠小僧の話につながるのではないだろうか。。

鼠小僧の墓

川を渡ると鼠小僧の墓がある。

回向院の中。

普通に入れますな。

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「お前立ち」という石がある。

それを削って取っておくとギャンブル運が上がるとか上がらないとか。

この日は誰もいなかったから初めて削ることができた。

大抵はおばちゃんたちがはびこって、ずっとどいてくれない感じ。

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鼠小僧に関してはwikipediaより。

鼠小僧(ねずみこぞう、1797年-1832年9月13日)は、江戸時代後期(化政期)に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名は次郎吉。(中略)

その後(1度目の捕縛後)7年にもわたって忍び込みついに1832年6月3日、日本橋浜町の上野国小幡藩屋敷で捕縛された。(中略)

処刑は小塚原刑場にて行われた。享年36。(中略)

鼠小僧について「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与えた」という伝説がある。この噂は彼が捕縛される9年も前から流れていた。事実、彼が捕縛された後に役人による家宅捜索が行われたが、盗まれた金銭はほとんど発見されなかった。傍目から見ると彼の生活が分をわきまえた慎ましやかなものであったことから盗んだ金の行方について噂になり、このような伝説が生まれたものと考えられる。しかし現実の鼠小僧の記録を見るとこのような事実はどこにも記されておらず、現在の研究家の間では「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」という説が定着している

Wikipedia

でた。小塚原刑場

幽霊が出ると言われている小塚原刑場。

鼠小僧は市中引き回し(見せしめですね)を受けています。

市中引き回し(しちゅうひきまわし)は、江戸時代の日本で行われた刑で、死刑囚を馬に乗せ、罪状を書いた捨札等と共に刑場まで公開で連行していく制度である。「市中引廻し」とも。(中略)

引き回された人
 八百屋お七 - 伝馬町から鈴が森刑場
 鼠小僧 - 伝馬町から小塚原刑場

Wikipedia

この八百屋お七も話としては面白いので機会があればいつか話しますw

吉良邸跡

そしてしばらく進むと吉良上野介の吉良邸跡なるものがある。

吉良上野介が祭ってあります。

当時の屋敷としては大きかったのでしょうけど、残っているのはほんの一角です。

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芥川龍之介の文学碑

そしてしばらくいくと、芥川龍之介の文学碑なるものがあります。

小学校の片隅にあります。

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勝海舟の生誕の地

そしてしばらくいくと、勝海舟の生誕の地なるものがあります。

公園の片隅にあります。

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両国をチャリンコで10分程度うろうろするだけで、いろんな歴史が学べますw

ちょっとずつみんな年代がずれているのもまた面白いところです。

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